こんにちは、銀座喜染です。
夏のお祭りや花火大会では定番の浴衣。風通しがよく気軽に着られることから、性別や年齢を問わず多くの人に親しまれています。
そんな浴衣ですが、いつごろから「夏を代表するイメージ」として着られるようになったのでしょうか?
今回のコラムでは、浴衣の歴史を振り返ることで、現代の浴衣に至るまでのつながりをお話していきます。
浴衣のはじまりは平安時代
浴衣の歴史は古く、なんと平安時代のまでさかのぼります。
■平安時代
当時は貴族が蒸し風呂に入るときに、熱い湯気によるやけどを防ぐため、主に麻で作られた着物を着ていました。湯帷子と呼ばれ、これが後に「浴衣」と当て字されて広まって行ったとされています。
■鎌倉~安土桃山時代
その後、鎌倉時代には、湯帷子を着用して入浴を行うことが一般的になっていきます。
そして安土桃山時代には今と同じ裸での入浴スタイルとなり、湯帷子は「湯上りに肌の水分を吸い取らせるもの」として着用されるようになりました。西洋のガウンのようなものですね。
■江戸時代
江戸時代になると、銭湯が普及し始めます。このことにより浴衣が一般の大衆にも広まって行きました。
当時はまだ洋服が入って来ていないため、風通しがよく、吸収性が優れている浴衣は、今でいうパジャマやルームウェアとして親しまれるようになりました。
このあたりから、現代の呼び名である「浴衣」と呼ばれるようになり、より多くの人に親しまれていきます。
■明治~現代
日本にも洋服が広まってくるようになると、着物を日常的に着る人は少なくなりました。
現代ではカラフルな色柄が施されたおしゃれ用の浴衣が増え、夏の花火大会や盆踊り、ちょっとした街着としても親しまれるようになりました。
次の項では、花火と浴衣の関係を見ていきましょう。
どうして花火大会に浴衣を着るようになったの?
江戸時代から、湯上りの着物として一般大衆にも人気を得てきた浴衣。最近では、あまり日常生活で着ることは少なく、花火大会やお祭りとともに、夏の風物詩の1つとなっています。
ではなぜ、お祭りや花火大会に浴衣を着ていくことになったのでしょうか?
江戸時代初期には、中国から日本に伝来した「花火」が人気を呼んでいました。
もともと花火には、お盆の迎え火や鎮魂の意味が込められており、精霊流しや線香とともに死者を弔うといった意味の強いものでした。しかし、あちこちで火事を起こし禁止令が出るようになってしまいました。
花火禁止令が出された後も、飢饉や疫病の大流行を祓い鎮魂を祈って、大規模な花火の打ち上げは行われつづけました。これがのちに、現代の花火大会となります。
江戸時代には浴衣を湯上り着に着ていたため、夜の花火大会にもそのまま着て出かけていたのでしょう。
明治時代になると、浴衣を重ねて染める「注染(ちゅうせん)」という技法が盛んになり、より多くの浴衣が生産されるようになりました。
これが、現代で「花火大会のときには浴衣を着る」という定番の文化につながっていったんですね。
現代の浴衣をもっと日常的に
平安時代から続く、歴史の深い浴衣。現代での浴衣は、若者世代を中心にまた活気を取り戻しつつあります。
夏にはレストランやテーマパークで、「浴衣を着てくるとサービス!」などの来場特典を設けるところも、少なくありません。
浴衣は夏のファッションとして、一般的に定着してきています。
バリエーションも充実してきており、古典柄だけでなく、大正レトロモダン風、着物のような小紋柄、そしてアパレルブランドなどからは、洋服のワンピースのような現代的なデザインも発売されてきています。
私たち銀座喜染では、注染など伝統的な技法で柄が付けられた高品質な浴衣を扱っています。
もっと日常的に浴衣を着て、日本の文化を楽しんでみませんか?